今日は、ぷくちゃんの月命日です。もう1カ月が経ってしまったんですね… 私にとっては、つい昨日のことのようで、正直、まだ実感がわかないんです。
皆様から頂いたお悔みメール、とてもありがたく読ませて頂きました。本当にありがとうございました。
ある僧侶の方が、動物の転生について書いていたのですが、動物の場合、ワンちゃん猫ちゃんのような哺乳類は、早ければ2か月、遅くとも人間でいうところの3回忌までには生まれ変わるそうですが、インコなどの小鳥さん場合、生まれ変わりはなく、一度きりの生で終わるとのことでした。また、人間は人間、動物は動物と死後の世界(霊界?)が分れていて、人間のいる世界に動物の姿は見当たらないとも書いてありました。もちろん、全く、根拠のないことで、ひとつのお話として読んていたわけですが、私は、妙に納得してしまったのです。
それは、私の本宅HPでも使用させて頂いている、作者不明の「虹の橋」という詩、内容を簡単に書くと「誰かと一緒に暮らしていた動物達は、死後、愛する飼い主と再会する日を、虹の橋の上で待っている」というものです。私は、上記に書いた本を読んで、ひょっとして、本当に「虹の橋」ってあるのかも…と感じました。死後、人間は人間、動物は動物の世界に行くのだとしたら、「虹の橋」というのは、唯一、愛する動物達に会える場所なのではないだろうか、なんて思っちゃいました。
ここ数年、愛しい小鳥達とのお別れが続いた王国ですが、私が最後を看取った仔も多く、その時に、いつも見る光景がありました。それは、息を引き取る瞬間、彼らは必ず羽を広げ、2・3回羽ばたくのです。まるで、光の世界に飛び立つかのように… 私は、最後の羽ばたきを見た瞬間、「あっ…行ってしまった…」と感じます。そして同時に、その時にいつも思うことは、この仔達は、もともと「あちらの世界(光の世界)」の住人で、この世には、自然界に存在する美しいお花のように、人々の心にひと時の憩いを与えるために、来てくれているのではないだろうか…ということです。だからこそ「小鳥は一度きりの生で、生まれ変わりはない。」ということも、激しく納得してしまうのです…。
この写真は、ぷくちゃんを荼毘にふす直前「最後のお別れ」をポポと一緒にした時の写真です。
実は、今までの私の経験から言うと、他の仔達の場合、棺に入った死後硬直してしまった連れ合いを見せるだけで、火がついたように怖がって逃げ回ってしまい、最後のお別れどころではなかったのですが、ポポは、お花に囲まれた 冷たく、硬直してしまったぷくちゃんにも顔を近づけて、最後のお別れのチューをし、毛繕いまでしてくれました。きっと「僕が行くまで少しの間、先に行って待っててね…」なんて言ったのでしょうね…
ポポのぷくちゃんに対する本物の愛情を感じたと同時に、大切なぷくちゃんがいなくなってしまったポポが不憫で…本当に可哀想でした…ラブバの夫婦愛は人間が持つ愛情となんら変わりがありません。
そんなポポの様子ですが、ぷくちゃんの死は、十分理解している様子で、ご飯も食べてくれるし、とりあえずは、元気に過ごしてくれています。
そして、ぷくちゃんがいなくなってから、またケージの外で遊びたがるようになりました。(見てね!)もう飛べないので、ポポのお気に入りの場所や行きたいところには、私が連れて行き、目を離さないようにして遊ばせています。もうお爺さんなので少し遊んだだけで疲れてしまい、すぐに帰りたがりますけどね。でも、リハビリもかねて、一日一回、必ず遊ばせるようにしています。
最近、この場所、けっこう好きなんだよ。
前みたいに紙切りもしているよ。
腰にさしたりね。
でもやっぱり…
いつもふたりで寄り添った、この場所に戻ると、ぷくちゃんを思い出すんだ…
今夜もひとりで眠るよ…
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ぷくちゃんの訃報と重なってしまったので、書く機会を失っていたのですが、フー太とばぶちゃんの子供でヤエザクラインコの「てまり」が女の子だったようで、立派な卵を3個も産んだのです。基本通り1日おきに3個、てまりの体調を考え3個目を産んだ後、発情防止作戦を実行して骨盤を閉めましたけどね。 ヤエザクラは、生殖器系統での奇形が多いので、女の子でも卵を産めない仔が多いと聞きましたが、どうやら「てまり」は、正常みたい。
お父たん、ワタチ、タマゴ産んだのよ。(てまり)
ホ~、そりゃスゴイ!(フー太)
Mitsukoママは、ワタチのこと「じゃじゃ坊てま姫」って呼ぶの。ばぶお母ちゃんの娘だからしょうがないわよね~。 (左-てまり、右-こまめ)
2010年2月26日
ようやく笑顔を見せてくれたポポ…