ぷい子ちゃんが亡くなった13日、彼女は朝からとっても元気でした。
実は、先週の木曜日(10月9日)の朝、ぷい子は下血をしました。E沢先生によると肝臓もかなりやられているので、すぐに毛細血管が破れてしまうのでしょう。とのことでした。それでも、その日の夜には下血はなくなり、食欲も普通になって少し安心したのですが…。
11日の土曜日横浜の病院に行く前に、初めて大きな発作が起きたのです。足をグーにしたまま立ち上がれない様子でした。私は病院に着くまでもたないかも…と思いました。その旨病院に連絡し、様子をみていたのですが、幸い、その日は何とか意識が戻り、ひとりで立ち上がって危ない状態を脱したのです。ぷい子の生命力を信じ、急いで横浜に駆け込みました。E沢先生は「もう、いつ逝ってしまってもおかしくない状態ですので、お家で見守りますか?」とおっしゃいました。「元気出せ!」と自分とぷい子に言い聞かせ、無事家に到着しました。しかし、不思議とそれ以降下血もないし、くり君の側で寄り添い、いつものぷい子に戻ってきたのです。
13日の日曜日の夜、ケージの掃除をし、ご飯もお水も新しいものに替え、ぷい子は嬉しそうにくり君と一緒にご飯を食べてくれました。とってもご機嫌で、私を見ながら首を振り振りして「もっと、もっと美味しい物チョーダイ!」と言っているようでした。私は、これならまだまだ頑張れそう!とホッと胸を撫で下ろした矢先でした。
くり君と寄り添っていたぷい子は、隣の止まり木に移ろうとして体勢を変えたとたん、止まり木から落ちたのです。そして、口をパクパクしながら、頭を後ろにのけぞるような格好で痙攣してしまいました。土曜日に起きた発作より激しいものでした…。本鳥は一生懸命立ち上がろうとしていましたが、足がグーになったままで、立つことが出来きません。ペットヒーターを強くし、倒れてしまったぷい子の背中をさすりながら「しっかりして!ぷいちゃん!」と一生懸命声をかけました。そして…2・3回羽をパタパタさせ、あっという間に旅立ってしまったのです…
仲良し夫婦だったぷい子とくり坊。
いつもこうやってくり君と一緒に並んでご飯を食べていました。
亡くなる直前、こんなに元気でした。
ケース入りホカロンで足元を温め、ケージの外、向って左側からペットヒーターで暖めています。(この場所がぷい子のベットでした。)
今、冷静になって思うことは、ぷい子ちゃんの最後は、ずーっとご飯も食べられずに苦しがっていたわけではなく、人間でいうなら「さて、寝るか!」と立ち上がった瞬間倒れて、そのまま…というような状態でした。
ご飯もお水もお取り換えしたばかりの美味しいところを食べ、そして、くり君と王国のみんなに看取られて逝ったぷい子姫は、天寿を全うし、大往生したとも言えるのかもしれません。…
E沢先生に電話でご報告をしたのですが、「ぷい子ちゃん本当によーく頑張りましたからね。」とおっしゃって下さいました。
思えば、約1年前、最初に診てもらった病院でも「医者としては、この状態で食欲があることが信じられません。」と言っていましたし、E沢先生も「ぷい子ちゃん、今でもちゃんとご飯を食べるなんて、すごいなぁ~」と言っていました。
私にとっては、ご飯も食べられずに苦しがり、やせ細って亡くなったわけではないことが何よりも救いです。
最後まで、生きようと頑張ったぷい子ちゃん…11年もの間、私と一緒に暮らしてくれて、本当にありがとね。コザクラ女の子とは思えない程、優しくて、絶対に!噛まない不思議な仔でした。もう二度とこんなにお上品で優しいコザクラ女子には会えないだろうな…
Mitsukoママの心の中にずーっと生き続けているぷい子ちゃん、安らかに眠ってね。